禊祓(みそぎばらい)について【思考ノート】
日本酒熟成酒普及人・九星気学鑑定士・カンパイSAKELOVERSの運営の石坂晏敬(やすのり)です。
さて、今日は「禊祓(みそぎばらい)について」についてです。
日曜日に、日本が平定された場所である枚岡神社へ行き、滝に打たれてきました。この行為を禊祓(みそぎばらい)と言うそうです。今回はその禊祓と体験したことについてまとめておきたいと思います。
この内容はポッドキャストで音声配信しています。
禊祓(みそぎばらい)とは何か
今回、僕の九星気学の兄弟子さんから古神道の話を伺っていて、興味を持っていました。その古神道の偉大な先生が大阪にいる。さらに月に一回、禊祓を行う禊の会というものがあるから来ないか?とお誘いを受けて、訪ねることにしました。
禊祓とは何なのか?なのですが、古神道で長年伝わってきている神とつながる行為とされているます。
禊とは身体にこびりついた罪や穢れ(けがれ)を落として、自らを清らかにすること。また、祈りを天・神に祈りを捧げる状態になることなどが目的とされています。
穢れを削ぎ落とすとどうなるかは、やってみればわかると言われたのですが、自分についている邪念や、余計なもの(感情や思考)を削ぎ落とすことで、自分に必要なことを受け入れる体制を造ると聞きました。
僕は九星気学を教えています。九星気学は幸せな人生にするための知恵なのですが、その中の一つに吉の方位に引っ越すという方法があります。僕は過去にこの引越の吉方取りを二回行っています。そして、僕の周りにも引っ越しの吉方を取っている方がいます。
この引越の吉方を取っている人はすでに自分に必要な事が目の前に現れるようになっています。あとはそれに気付けるかきづけないか?の話になるのです。
禊にもどるのですが、吉方取りをしている人は、禊をすることで自分に必要なことに気づきやすくなると言うことです。
禊祓の体験を通して感じたこと
今回の禊祓は6時間コース。各神社を清掃・参拝して、さらに神武天皇が日本国を平定した地に足を運びました。その間は古神道の表先生の話をお聞きして様々なお話しをいただきました。いかに明治以降、日本国が歪んでいったかを知ることとなりました。
この話はおいておいておきます。それらを済ませた後に滝打場で禊祓が行われます。ふんどし一丁の格好になって、天・神とつながる儀式を行った上で、滝に打たれます。
禊祓を行う前に経験者の方々から、「この儀式を行うともう今の自分に戻れないけど大丈夫ですか?」と言われ「えっっ?どういうことですか?」と思わず返してしまいましたが、
詳しく聞くと、この禊をきっかけに神とつながりを持つ立場になるので、今までと全く異なります。覚悟はいいかな?みたいな意味合いだそうです。
ふんどしになって経験者の方々に従って、儀式をこなしていきます。その後一人ずつ滝に打たれます。言葉を唱えながら、滝に打たれます。 外で見ていた時は、そんな大したことない滝だなと思っていたのですが、実際に打たれると滝の水の重みが重力でとても大きく、身体にずっしりと襲いかかります。 その中で祈りを捧げます。約2分程度と言っていましたが、30秒程度にしか感じられないあっという間の出来事でした。
滝に打たれた後に、みんなから「おめでとうございます。」のひとこと。これは初めての人に必ず送られる言葉だそうです。
実際に禊祓終えて、着替えて外に出ると、待っていた人たちから、「明らかに顔つきが変わったね。尖りがなくなり、優しくなったね」といわれました。自分ではそこまでわからないですが、何がしかの変化が起こっているようです。
実際行って感じたことは、明らかに何かが取れたというのは正直わかりませんが、強い水に打たれることで大きな振動と大きな水の音で日常の空間からは完全に離れた状態になります。
その点からいくと、この禊で一旦今までの流れを止めて、余計なものを削ぎ落としているという感覚になることも出来ました。
具体的に何か起こりますか?と訪ねたところ、禊から3日以内に、今までの流れに変化が起こり、必要な事が起こるので、しっかりアンテナ立ててね。と言われました。
すでに日本酒関連で2件、新たな展開が舞い込んできているので、しっかりと向き合っていこうと思います。
まとめ
今日は禊祓のお話しをさせていただきました。日本という国は歴史が古く、生活していく上で役立つ「型」というものがたくさん存在している。ただ、明治以降、全く継承されていないという事実を知りました。
九星気学と古神道はとても結びつく話です。どちらも簡潔に言うと人生を幸せにする豊かにするための知恵と言えます。周りの人を一人ずつ、幸せにしていくという心構えで、九星気学を立て直して、古神道を学んでいこうと思いました。
禊祓と吉方取りのあわせ技はとてもオススメです。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。