仏教塾に参加190728 生きているとはどういう事か?

こんにちは。九星気学鑑定士のざかです。

3月から参加させてもらっている釋潮叡先生の仏教塾。

今月7月の講座も心に刺さる気づきがとても多かったので書き留めてことにした。

生きているとはどういう事? 今回の一番の大きな気づき

先生から「生きているとはどういうことだと思いますか?」

と唐突な質問が投げかけられた。

  • 死んでないこと
  • 心臓が動いてること
  • 脳が働いていること

などいわゆる「死」になっていない状態としか思いつかない。。。。

考える時間で沈黙があった後に

先生から

「皆さんが私に真剣な眼差しを向けながら話を真剣に聞いてくれている。
 この自分が役に立てていると感じられることで成仏できる。

 人それぞれの立ち位置で役割は異なる。
 そのそれぞれの立ち位置で役に立てている事を
 感じられることが生きているということ」

さらに

「村山先生は相手はどうでもいいんだ。
 相手が自分にとって役に立つことを見出してあげる
 これが出来るようになればみんな成仏出来る。」

「坊さんがお布施をもらいに回っていたのは
 一人でも多くの人に自分は役に立っていることを知ってもらうため。
 その機会を与えている」

僕の心に槍が突き刺さったような衝撃であった。

人の役に立つことで生きているを感じるは理解できた。

でも、相手が役に立っていることを見出すことには

僕は全く意識がなかった。

なんかとても大切なことに気づかせていただいた瞬間であった。

少し涙が出てきてしまった。。。

今回の気づきはこれだけで十分であったが

その他にも気づきがあったのでまとめていく。

体験は思考のリミッターを超える

前回でとても大きな気付きとなった

「思考が最大の敵」という話である。

自分の分かる範囲で物事を判断しているだけでは成長できない。

これはどういう意味かというと

自分の考えが及びない所に成長の機会がある。

だから「とりあえずやる」ということは極めて大事なことなんですよね。

今回、先生からは

「体験は思考のリミッターを超えることが出来る」

まずやってみることでしか自分の考えている範囲の世界は飛び越えることは出来ない。

だからとにかくやれ。ということだ。

泳ぎ方を本からいくら学んでも海やプールで泳いでみない限り泳ぎはうまくならない。

来たきっかけにとりあえず乗ってみる。

そうすることで見える世界が変わることは絶対に言えますよね。

師の見つけ方〜3つの問うなかれ〜

人に何かを伝えよう、教えようという立場になると師の存在を求めるもの。

ただ、師は普通にしてては見つからないというのが今回の話であった。

師匠とは答えを教えてくれる人ではない。だから、師を見つけるために答えを求めては行けない。

ではどうすれば良いか?

以下の3つの問うなかれを実践し、謙虚な心構えを徹底する。

1. 種姓経歴を問うなかれ
血筋や生い立ち、経歴などを意識していては使徒は出会えない。
純粋な出会いなどのきっかけを大事にしよう。

2. 容顔を問うなかれ
見た目で決めるな。見た目じゃないよ。

3. 言行不一致を問うなかれ
前言っていたことと違うではないか?とか
言っている事とやっていると事が異なっているなど。

そんな事に気づいてしまってもそこも問うなかれ。

これらを徹底して謙虚な心構えを徹底すること。

すると師に出会える。楽しみにしよう。

能力主義の愚かさ

先程の相手を成仏させるという話。

あのような大切なことに気づけない世の中になってしまっている。

西洋中心の近代社会が生み出した”能力主義”のせいだ。

先生は目連尊者の話を例に挙げて話をしてくださった。

能力で解決しようとする愚かさ。

しかし、近代は能力で全てをこなせるという呪縛に包まれている。

能力によって苦しめられている現代。

能力によって大事なものが見えなくなってきている。

超受動的主体性が重要だ。

3万年前から施行は変わらない。義農の世

アルビン・トフラーの第三の波で描かれている

農業文明時代→産業文明時代→情報文明時代

もうすでに情報文明時代は技術が進みすぎ、終わりを迎え

新たな文明時代に入っているそう。

新たな時代とは”心・からだ文明時代”

まずはこの心・からだの捉え方をしっかりと持つこと。

基本を毎日繰り返す。他人を活かし、自分が活かされる。

ここ最近は農業時代よりも前の義農の世(石器時代)にてすでに人類の思考は完成していたと言う説があるそうだ。

もしこの説が正しいなら約3万年の間、思考は成長していない。便利なものは生み出したとは言えるが。基本的な考えはすでに出来上がっていた。

これは捉え方がとても難しいが、まずは頭の片隅に入れておこう。

人類の思考が成長してないとなると何のために遺伝してきているのかなどとふと思ってしまった。

今後もこの点は学んでいきたい。