“不食という生き方” 秋山佳胤著〜食の話だと思ったが心の在り方がとても良くわかる人生の指標となる名著。【書評】
僕がサラリーマン時代にとても仲良くさせてもらっていた先輩から紹介してもらった本。
たまにお酒を飲みに行く仲だが、いつも人生論について白熱した話を4-5時間繰り広げ、とても満足して家路につく。
そんな先輩が紹介してくれた本だ。
”不食という生き方” 秋山佳胤 著
一通り読み、タイトルからは想像もつかない”心の在り方”がわかりやすく書かれていて共感ボイントが多い内容であった。
人生のヒントが刻み込まれている一冊です。では、早速紹介しよう。
食べないで生きている人がいる聞いて以前チャレンジしたが、、、
“不食を無理に実践しているわけではない。やりたいからやっているだけ。
「食べないと死ぬ」は本当なのか。固定概念を疑ってみる。”
僕は5-6年前にヨガにガッツリはまっていた時に
「食べないで生きている仙人みたいな人が世の中にいる」という言葉が耳に入り、
「へぇ、食べないでも生きていけるんだぁ」
とその言葉だけを真に受けてろくに調べもせずに、
極力食べないで運動量を高めるという実験を行ったことがある。
その時、確かに食べなくても動ける身体を作ることが出来た。具体的にいうと晩飯、朝飯を抜いてフルマラソンをそれなりのペースで走り切る事が出来た。
ただこの時はパワー源をまるで取り入れていなかったのでエネルギーは内臓を削りながら得ていた。だから走れた。この頃、真冬でも肌が黒くなっていた。内臓が壊れかけていた。
この間違った生活を気づかせてくれたのが東洋医学の先生だが、
この先生はその頃の僕に会った瞬間に
「君、このままだと死ぬよ。」という第一声。
その頃の生活を話すと、
「あー、それはエネルギー補給していないから内蔵に蓄えた緊急用のエネルギーと内蔵自体を削りながらエネルギーにしているから動けた。この貯蔵分もなくなったら完全に動けなくなる。」
と言われたことを今でも鮮明に思い出すことができる。
それ以来、内臓に必要な栄養をしっかり取る生活に変えている。
そして、”不食という生き方”という本を紹介される流れとなる。
著者さんも食べないで生きている人がいることを知ったことがきっかけだったがその先の情報収集の仕方が僕とは全く異なっていた。・
食べないでどうやって生きるのか?
”食べないでどうやって生きるのか?
→氣(エネルギー)を食べて生きているという衝撃。
もし気功に出会っていなければ、不食をバカにしていたかもしれない。”
僕が不食でひたすら走り込んでいた時はエネルギーを吸収していなかったので出すばかりで身を削っていた。
では、どこからエネルギーを取り込むのか?
そもそも食べずにエネルギーを取り込めるのか?
この答えは
”氣”を食べる、取り込む。
だ。
氣を食べる事で生きていける。
そのためには気功を学ぶ必要がある。
大気に無限に存在するエネルギー(プラーナ)を摂取して生きる。
この詳しいやり方は記載されていなかったが気功を取り入れれば可能となるようだ。
早速、気功に興味を持ったのは言うまでもない。
プラーナを増やす方法
”プラーナを増やすには、2つの法則があります。
まず「何でも自分から与える」こと。欲しがるのではなく、与える、、、、、いつもそんな気持ちでいれば自身の性格が変わりますので、周囲にも同じように与える人が増えます。「与えたがる人」が増えると、当然ながらプラーナの量も増えます。
次に「頭で考えず体で感じる」こと。
食事でも仕事でも恋愛でも、無理しないこと。いつも体と相談して下さい。
こうすべきという思考をしてて下さい。とても楽になります。”
ということでこの本はどう食べないで過ごすかという食事への向き合い方の本かと思っていたのだが、
そうではなく”心構え”、”心の在り方”等をわかりやすく説いてくれる本である。
参考になる内容は多々あるがその中でも僕に突き刺さったものを紹介する。
我慢はエゴ、わがままはエコ。
”我慢はエゴ、わがままはエコ。
我慢の本当の意味は「我が慢心」であり、自分に執着している状態です。つまり、エゴなのです。
そうではなく、私達はわがままに生きましょう。
わがままは我欲そのもの(エゴ)と教えられてきましたが、これも間違いです。
エゴではなく、その逆のエコ、つまり「心にストレスをためないエコシステム」そのものです。
わがままは「我がまま(あるがまま)」であり、その人の本質です。
本質を否定すると、その人から個性が消えます。個性が消えると、何のためにこの世に生まれてきたかわかりません。
本来の自然な在り方そのもの、それがわがままです。”
僕は最近読んだ芳村思風さんの”人間観の覚醒”がかなり心に響き、
人間観の覚醒の書評はこちら→”人間観の覚醒” 芳村思風 著 人生、生き方の指標となる一冊【書評】
”なぜ生まれてきたのか?”
”本来の自分を生きていますか?”
などの問いを自分に立てながら感性に基づく生き方を追求している真っ只中。
なのでこの
”我慢はエゴ、わがままはエコ。”
という言葉はかなり響いた。
確かに当たり前のように教育で「わがままはダメ。みんなと同じことをしなさい」的な教えがまかり通っていた。
そう洗脳されているので我慢=良し、わがまま=悪という方程式になっている。
いやー本当に怖い。
言葉の意味をしっかりと理解する努力は必要だと改めて思わされる。
我慢(がまん)=我が慢心
わがまま=我がまま(あるがまま、ありのまま)
湧き上がってくる自分の思いに耳を傾けて、素直に読み取る。
このことを”わがまま”というのか!!と驚きを隠せない。
だから、”わがまま”に生きよう!!
自分の”わがまま”が尊重されるように相手の”わがまま”に敬意を払おう。
この学びだけでも十分に価値がある。
そもそも私たちは競争などしなくても普通に生きられる。
”人類が誕生した頃から、そんな格差があたりまえのように存在したわけではありません。格差をつけると儲かる一部の人々が、力に任せてそんな仕組みを作り出したのは、それほど遠い昔でもないのです。
ということは、そもそも私たちは競争などしなくても、格差をつけなくても、普通に生きられるのです。
日本には「和を以て貴しとなす」といういい言葉があります。これから、最も重要になる言葉だと思います。
お互い様で暮らし、利益を分け与える。
競争があったほうが儲かる立場の人に刷り込まれている”
競合よりも一歩でも上へ行き、利益を出して、金を稼いで、金を稼ぎ続けないと生きていけない。
会社を成長させ続けないと未来がない。だから、敵を蹴落として、競争を勝ち抜くんだ。そんな世界観だらけの世の中だ。
そんな刷り込みが今でも行われている。
でもそうではないと気づいているというかそもそも知っている人はこの世界に足を踏み入れていないんだろう。
自分のペースで思うがまま(わがまま)に日々を送れば生きていける。困った人がいたら助ける。今日やりたいことをやる。
自分がそのようになり、周りにもそのような人たちが増えてきたら、楽しい空間となるのは容易に想像できる。
競争心をいい意味で捨てる。自分の感性に素直に。
悩みは真面目さに比例し、いいかげんさに反比例する。
”悩みは真面目さに比例し、いいかげんさに反比例する。
親は子どもにばかり関心を寄せ、心配する必要はありません。
逆に信頼して、子どもへの関わりをほどほどにする。そして親自身がやりたいこと関心のあることに意識を向けると、不思議なほど親子関係の悩みは消えます。
ここにあるのは意識のエネルギー関係です。
意識というエネルギーは、おたがいが適度にやりとりして初めて安定します。どちらか一方が過剰に出すと関係がぎこちなくなり、じきに悪化します。”
このフレーズは最近、僕に悩みを打ち明けてくれた友人が鮮明に思い浮かんできたので響いたもの。
その友人はとても真面目で家族思い、その真面目さが自分を空回りさせてしまっているように見受けられた。
”いいかげん”ってとってもいい言葉だと思う。
良い加減という意味なので、自分の感性に基づき、
ちょうど良いとこでやればいい。
その先の事を頭で考えて、私がこうしたら相手がこう思うはずだから、そうならないように私はこうして、そうすれば相手はこのように思うことはないからこれで行こう。
みたいな頭で余計なことを考えて、自分の感性を置き去りにしてしまうと良い加減にならないということだろう。
自分を大事にしよう。
そうすれば、相手も大事にできる。だから大事にしてもらえる。
まとめ
とても読みやすく、世の中の人すべての人が読んで理解すればいいのにと思う。
穏やかに、そして全力で人生を楽しもう!!
そんな思いにさせてくれる一冊です。
ぜひ、読んで欲しい。