”考えるくせ”ついてますか?

”考えるくせ”ついてますか?

最近、”考える”ことについてのインプットが増えてきていることに気づいた。

最近、”考える”ことについてのインプットが急増している。

どういうことかというと

「お前、しっかり頭使って考えてるか?」

「おい、頭使って考えているか?」

「自分の考えはどうなんだ?」

ということを色々な角度から言われている感じ。

この気付きは僕にとっては結構大きな気付きだ。

僕は本をたくさん読む。乱読している。悪くいうと読みっぱなしだ。それでも知恵となり、今後の自分のためになっていると思ってのこの行為。

 

そして、本に書いてあることでピンときた事に関しては実際に真似して行動している。

ただ、ここまでだ。真似して智慧とする。

あー僕は考えていない。頭を使っていないことに気づいた。
さらに言うと頭を使っている風に過ごしていただけだ。。。。

 

最近、インプットされる情報で際立っているのが以下のようなことだ。

・自分の考えをどう組み立てる?

・その本から学んだことを自分ならどう活かす?

・彼はこう考えたが自分なら本当にそう考えるか?

・このペンはなぜこんなに売れているんだろう?

 

というように自分の身の回りに起こることに疑問を持つくせを付けること。なぜ、なぜ、なぜと。このくせがつけられれば常に何か自分なりの考えを追い求めることになる。

しかし、ただ本を読んで真似ているだけだとこの自分で考える、自分の頭を使うという行為が薄い。という事に今更ながらに気付かされたわけである。

もっと早く気づくべきとても重要なことである。考えるくせがないというのは人間として生きている価値を殆ど活かせていないと言っても過言ではないだろう。というかもったいない。

という気づきをこの1ヶ月で得ることが出来た。あはは。笑える。気づくのおそすぎる。でもおそすぎることはない。

 

考えるくせをつけるために始めたこと。

実行に移さねばもったいない。という事でひとまず以下の行為を始めた。

1.日々書き出している、先人が残した自分のためになると思った言葉に対して、自分ならどう応用していくかを自分なりの考えでまとめる。

2.ずっと続けている日記。この内容をその日でインパクトがあったことに対してその事を抽象化して自分なりの考えや他に置き換えられることがないか?を書き出す。

3.日々生活していて「ん?なんで?なぜ?」と思うことをひとまず、メモっておく。そして時間ある時に考えて、考えを書き出す。

4.自分取材を行う。何色が好きですか?なぜその色がすきなのか?など。

僕の中では、一切習慣化されていない行為なので、なかなかしんどいが少しずつ考えることを継続していく。

知的生産の技術”という本ににこんなことが書いてある

”この場合、情報というのは、なんでもいい。知恵、思想、かんがえ、報道、叙述、そのほか、十分ひろく解釈しておいていい。つまり、かんたんにいえば、知的生産というのは、頭を働かせて、なにかあたらしいことがら〜情報〜を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ、くらいにかんがえておけばよいだろう。”

今、ある情報に対して自分の経験値を伝えることや自分の考えをまとめ、伝えることが知的生産となる。この点を意識して、アウトプットを行うことが後々、周りの誰かに役立つ情報となると理解した。

まとめ

新しいことを始めるとやはり体や脳への負担が大きい。考えるという行為も慣れるまでは相当な負荷だが慣れるまでだ。考えるということを慣らしていく。これが起きている時間あたり前のように考え続けられれば、これは面白い世界が待っているのだろう。

この”考える”という行為を自分の習慣化リストに加えた。

今、習慣化で辛いというか脳がオーバヒートするのが”親指シフト”タイピングとこの”考える”行為だ。さあ、習慣化してどんどん自分の考えをアウトプットしていこう。

自分の考えはブログではなく、noteを使おうかな?