【日記ざかの1日】19年5月18日 仏教塾からの学び〜日本人の祖先に対する敬意が著しく低下〜
今朝の易占”艮為山六爻”
止まるという卦
- 動かざること山のごとし
- より積極的に進めるために一旦立ち止まる
- 今の停滞は今の自分、相手との関係などを冷静に見つめ直す時
- 停滞から大飛躍が生まれ
今日の方位活用
恵比寿神社で恵方参りを行い、恵比寿の蕎麦屋でもりそば食べる。
八白の氣をチャージ。
午後 仏教塾に参加
前回の3月からの参加となります。
前回は先生の教えや物語を聞いているうちに止めどなく涙が出てくるという体験をした。
僕の中に全く無い教えが丁寧なお話の中から次から次へと繰り広げられるそんな世界です。
今回は村山幸徳先生が亡くなられてから1年が経つというタイミングであった。
その事を踏まえながら先生の講座が始まった。
- 今の時代、「生きる理由がわからない」と嘆いている人、人生を投げ出してしまっている人が多いというお話がまずあった。
その上で
「人間は生きる理由がなくていいんです。」
「生きている理由は生きながら探す。
人間は未完成で生まれてくる唯一の生き物。
成長しながら、世の中に役立つことを見つけながら
生きる理由を探し続ける。それが人間である。」
この教えは江戸時代では誰もが認識していたが明治時代以降、特に戦後この教えは全く伝わらなくなった。という話であった。
生きる理由はなくて当たり前、探しながら生きていく。
そうしている人も多いと思うがしっかりと言葉で伝えられているものがあるとそれは当たり前と捉えられるようになりますよね。
「自分の理解の中で判断している内は成長はない」
何か、きっかけをいただき、「検討します」と答えている段階でもう成長はできない。自分の頭では理解できないものを受け入れて、自分の体で実践することでのみ初めて成長できる。
この言葉は前回もあったが改めて思い知ることが出来た話であった。
これは改めてまとめることにしよう。