守・破・離の「守」の重要性。
守・破・離の「守」の重要性。
守・破・離
僕の過去を振り返ると
この言葉は知っていたがなかなか実践できていなかった。
守・破・離の意味は日本の茶道、武道、芸術における師弟関係のあり方。
「守」:指導者の言ったことに忠実に動く。指導者の話しを聞き、指導者の行動をしっかり見て見習い、指導者の価値観をモノにしていく段階。
「破」:しっかりと指導者の型をものにした後に、新しいことをトライしていく。既存の教えを破壊していく。
「離」:指導者から完全に離れた新たな価値を生み出す。
僕の性格なのかわからないが、学んだ通りにやってはいけない(真似はだめ)
それは真似ているという発想が根にあるから
学んだどおりにやらずに
すぐに学んだことにプラスして自分のアレンジを加えてしまう。
すなわち、守・破・離の「守」を疎かにし、すぐに「破」に向かう。
これでは学んだことは身につかない。
正しい教えを身体に染み込ます前に
アレンジしているのだから、思い通りの成果は得られない。
僕はこんな事を繰り返してきた。
最近、ゼロからスタートしていることとして
「ブログ」と「SUP」がある。
ともに自分に全く実績がないことを
先生から教えを請うて学びながら進めている。
今までの自分の反省「守」を疎かにする点を意識して、
今は学んだことを忠実に実行することを心がけてきている。
学んだ際に、自分の中でもとても腑に落ちている内容であったから
と守れているというのもあるが、とにかくここを徹底してやってきている。
共に3ヶ月程度が過ぎようとしている。
ブログは大きな変化。書くのが大変→書きたくてしょうがない。
僕はプロフェッショナルブロガーの立花岳志さんのBe塾に
11月から参加しているが最初の教えは
とにかく”習慣化の徹底”であった。
ブログの講義なのに”習慣化の徹底”の重要性を様々な角度から学んだ。
いくら良いPV数を獲得しても書き続けていなければ、価値は無くなってしまう。
ただ書き続けていれば、そのブログの力はつき続ける。
そのためにも書き続けるための書く習慣化がとにかく重要であるという教えであった。
ここで学んだ習慣化のアドバイスを忠実に守り、淡々と続けてきた。
この記事でも書いたが
約70日書き続けたあたりから
書くことが大変だった状態から
書きたい気持ちが勝る状態に変化したのだ。
特にPVが伸びたとかそういった外的要因はない。
しかし、このような状態になっている。
おそらく、このペースで書き続けていれば、
書くのが辛いという状況には陥らないだろう。という自信がついてきた。
そして、色々と文章の書き方などをアレンジしたくなってきた。
ただ、今はひたすら「守」を徹底する。
とにかく、書いて書いて書きまくることを続ける。
SUPも学んだパドリングを忠実に実施したことで進むようになる。
SUP60kmの経験者のコーチを招き、12月の決起会から教えを頂いている。
教えの中で足腰の使い方はかなり出来ているがパドリングが全く出来ていない。
SUPは結局、パドリングで進むのでここを徹底改善していこう。
という流れになり、うねりのない川での練習が続いている。
正直、うねりがないと物足りないという思いがあったが、
パドルワークの基本”水をキャッチ”して”パドルを深く刺し”、体全体で丁寧に漕ぐ。
今はこれを徹底的に練習している。
パドルで水をキャッチできるようになり、断然進むようになったと同時に
身体の筋肉疲労が半端なくなった。
今の僕にはこの漕ぎ方を身体に染み込ませるのと同時に
それに耐えられる筋力、身体を作ることが明確な使命。
SUPでもコーチからの新しい指導があるまで「守」を徹底して、
体に染み込ませる。SUPは制限時間があるので特に徹底が必要だ。
まとめ
この人生の中で守・破・離の「守」を
意識した瞬間って振り返るとあまりなかったという事と
今やっていることの集中力に大きなギャップを感じたため、
この守破離という記事をまとめてみた。
この先、確かに自分のものになったと自信を持ててきたら
アレンジを加えてさらに楽しめる形にしていきたい。
今年は「じっくり、コツコツ、淡々と」が
我がテーマなので「守」がしっくり来ます。