毎日やって飽きないことの見つけ方【考察シリーズ】

毎日やって飽きないことの見つけ方【考察シリーズ】

先日、プロフェッショナルという番組を出先で見た時に出てきたフレーズ

 

「毎日やって飽きないことを見つける。」

 

竹井和之さんの一言。

 

とら食堂という福島県のラーメン屋さんのオーナー。
先代のお店を引き継いでラーメンの味を追求している方。

映像を見ていて、絶対に食べてみたいラーメンの一つとなった。

その竹井和之さんが言った

 

「毎日やって飽きないことをみつける。」

 

というプロフェッショナルの一言。

その時は「そうだよな。毎日やって飽きないことを見つけられれば、幸せだろうな。よし、見つけよう!!」

みたいな受け止め方程度であったが、

 

ノートに書き留めておいたこのフレーズを改めて数日後に見た時に違和感を感じた。

「毎日やって飽きないってどんな状態?」

「毎日ってどれだけ続けて言えることなの?1ヶ月?1年?10年?30年?」

などの疑問が生じた。

 

ということで
今回はこの「毎日やって飽きないこと」について考えてみた。

毎日とはどの程度か?

毎日とはどの程度かについてまずは考えてみたい。

 

1週間程度やって

「これは楽しい。毎日やっても飽きないな。」

 

と言われても、

「ふーん。そうなんだ。」というリアクションをするだろう。

 

 

では、これが1年毎日やった人が

「これは楽しい。毎日やっても飽きないな。」

と言われたら、

「そんなに楽しいんだ。それはうらやましい。」

という反応に変わるかもしれない。

 

では30年毎日やり続けてきた人に

「これはほんとに楽しい。毎日やっても飽きない。」

と言われたら、

「30年毎日やり続ける想像がつかない。30年もの長い間ずっと惹きつけるものは何なのですか?」

 

という質問を投げかけると思う。

 

また、「他にやりたいと思ったことはなかったんですか?」

という質問も投げかけるだろう。

 

とら食堂の竹井和之さんの映像を見ていると、ラーメンの味と真摯に向き合い、来る日も来る日もラーメンのことを考え、毎日家族でラーメンを食べというモノであった。

 

この映像だとラーメン以外は考える必要がない。ラーメンで脳みそが100%埋め尽くされているという印象となってしまった。 

 

100%という状態ではもちろんないであろうが、それに近い状態なのだろう。

 

仮にそのように打ち込めるものが見つかった場合、他に興味あったことに見向きもしなくなるのだろうか?

 

そう考えると100%打ち込めるというのも少し寂しい気もする。

 

ただ、自分は100%打ち込めることにまだ出会ったことがないのでこの点は最終的にはわからないが、100%打ち込めるものが見つかったら、いい意味で周りが見えなくなり、その一点に集中できる。 

 

好きなことに全ての時間をかけられる状態。

それはすなわち幸せな状態なのであろう。

 

毎日の一つの基準は”10,000時間”

何でも10,000時間取り組めば、専門性を持つまでのチカラを持てると言われている。

10,000時間とは単純に1日8時間取り組むことが出来れば、1,250日。
毎日、みっちり取り組んでも約3年半はかかる。

毎日8時間取り組むというのは至難の業なのでこの倍近くはかかるだろう。

 

10,000時間やり込めるモノが見つかるか?出会えるか?は一つの判断材料となるのではないかと考える。

 

10,000時間を楽しく費やしてこれたら、それは間違いなく毎日やっても飽きないものと言えるのではないか。

絶対的欲求と相対的欲求

欲求の種類として大きく2種類。

 

相対的欲求:自分で気づくのではなく、誰かを見てその不足感からくる欲求。 早く達成したいこと(これは続かない。)

 

英語をみんな話せるのに俺だけ話せない、、、、
なんとかしなくちゃ!

 

この欲求でもこなせる人はいるとは思うが、この足りないものを補う欲求はなかなかハードであることは容易に理解できると思う。

 

それに対して絶対的欲求は

絶対的欲求:自分がやりたいこと。不足からくるものではない。
早くはじめたいこと(とにかくやりたいから始めて身をうずめる。)

 

なので苦行とはならない。

 

この絶対的欲求とやらに出会うことが出来れば迷いなく進むことが出来るようになる。

 

さあ、どう出会おう??

どう10,000時間楽しく打ち込めるものを見つけるか?

ここは完全に僕の仮説であるが、一言で言ってしまえば”数打ち当たる”戦法だ。

 

正直、何を自分が心底好きになるかなんてわからない。

 

ただ、立ち止まっていて、突然湧いたように好きになることはない。だから、毎日やっても飽きないことには止まっていては気付けない。

 

これは間違いないだろう。

 

何かのきっかけがあり、

”とりあえず”やってみて、

少しずつハマっていき、

そのハマっていく過程でも新たなきっかけがあり、

そして、気づいたらどっぷり浸かって10,000時間は優に費やしている。

これが理想形。

 

だから、気になったことに片っ端から手を出していく。

楽しいことがあったらガンガン時間を費やす。

 

 

どうかな?

毎日飽きないことの見つけ方を考えてみたのだが、、、、

とりあえず、僕は最近きっかけをくれる人が周りに増えてきているのでその人たちに乗っかっていってみようと思う。